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聖トーマス教会合唱団のマタイ受難曲@サントリーホール(3/1)を聴いてまいりました。

28日が泊まり勤務,29日退勤が20時。
36時間勤務翌日の3月1日もフツーに仕事です。

3月1日朝、地震で目が覚め、長くゆれる中まず考えたのは「今日はぁ、お仕事休めるかしら休んじゃおっかなぁ」
いやいやさわやかに出勤し、セーブモードでバリバリ働き、コンサートを聴いて22時30分近くに帰宅。

泣きすぎて頭が痛かったです。

3月1日はトマーナとゲヴァントハウスの韓国・日本ツアー、国内では25日の横浜公演を皮切りに5公演目の最終日。(スケジュールを確認したら3月8日にはイギリス公演だとか・・いやはやお疲れ様です)
29日深夜・1日朝と茨城を震源とする震度4の地震があり、都内もかなり揺れました。
地震慣れしていないであろう皆様に心理的なダメージが起きていないといいのだけど・・と祈るような気持ちでホールに入りました。

客席は8割埋まっていました。
実は昨年のクリスマスイブにバッハ・コレギウム・ジャパンのメサイアを聴いているのですけど、館内に施されたクリスマスデコレーションと、美しく着飾ったいろんな世代のお嬢さん方でさらにあでやかだったのとは対極でして、どこかしら物静かな雰囲気でした。

演目がキリストの生涯を生誕・受難・復活のタイムラインで描いているメサイアと受難のシーンのみを抽出したドラマであるマタイ受難曲の違いでしょうか。
受難の音楽を約3時間かけて共有する覚悟、受難曲をしっかり受け止めたいという落ち着いた雰囲気でした。
開演までの時間、静まりかえった客席は初めて経験しました。
普段のコンサートにつきものであるハイテンションなおしゃべりだとか、プログラムやフライヤーをがさがさする音ですら目立ってしまう沈黙のなか、演奏者さんたちが舞台に登場し開演となりました。

1曲目、コンティヌオのリズムが受難の物語の始まりを目撃する自分自身の鼓動のように聞こえ、8声+ソプラノ・イン・リピエーノが加わる入り組んだ合唱が、時代地域を超えたこの世の中のありとあらゆる嘆きのようで、ゾクゾクしました。
緊張感のなか静かに受難の物語がはじまりました。

マタイ受難曲は時代を経ても人間って根本的にそう変わらないという普遍性あるドラマの連続だと思っております。誰もが犯してしまう小さな、だけどときに取り返しのつかない罪。
そういったものに共感する聴き方を今までしていましたが、今回は受難の主人公であるイエスの心理描写に引き込まれました。
イエスの絶望がどれだけ苛烈なものであったか、あらかじめ定められたことと知りながら、それを受け入れていかざるを得ない懊悩。
救い主としてはそういった運命を従容と受け入れたはずであると考るべきなんでしょうが・・。

緊迫する物語の中で、実は、過ぎ越しのお祭りをどこで祝おうかというくだり、弟子たちのちょっとワクワクした感じがあって実は好きです。
ほんの一瞬だけど。
お祭りの食卓を囲みながら、イエスはこれから起こる受難について語っても、弟子は全く「大丈夫っすよ、師匠」みたいな感じで耳を貸さない。
人間おなかがいっぱいになれば、自然に瞼も重くなる。
ましてや師匠は別室でお祈りしている。緊張感が緩み切って眠りこける弟子たちを残し、イエスは一人慟哭している。避けられないさだめだとわかっていても、あまりにむごすぎる。

イエスは弟子たちのことをどう思っていたのだろうか、と考えてしまいました。

1部終盤の捕縛の物語は凄絶、シャイー&ゲヴァントハウスのマタイ以上でした。
自分が夜闇にまぎれてその場に居合わせてしまったような錯覚が。
27曲目ののソプラノ・アルトのアリアの始まりが、足音を忍ばせて近づく大勢の群集のようで、背筋がゾっ・・・

乱闘が激しさを増すと、イエスは事態を収束しようと「私が頼めば、父は十二軍団を遣わす」といいますが、でもその父は息子が十字架につけられることを阻まない。

蜘蛛の子散らしたように弟子たちはいなくなり、イエスはとらえられてしまい、傍らでその声を聴くことも、ましてや同じ食卓について一緒に食事をとることも永久になくなってしまう。
第1部の終曲が何かの終わりを告げていることにようやく気づきました。

ゲヴァントハウスオーケストラの弦楽器セクションの音色は美しいし、管楽器のすっきりとした音色もあいまって繊細な響きが素晴らしかったです。ヴァイオリン奏者の方はビブラート控えめで指板近くで弾いておられるように見受けました。
ソリスト陣はドイツ、トマーナやドレスデン出身のソリストたちで、がっつり固められていました。
2008公演プログラムを確認したら、3人とも出演なさっておりました。
大好きなペツォルト先生はテナーソロまでこなして大活躍。表儒豊かに、物語の進行を語ります。その語り口は何度聴いても引き込まれます。
ソプラノソロのウーテ・ゼルビッヒさんの深みのある透明な声はやはり受難の物語にふさわしいし、オール男子の声楽陣から浮かないのが凄いです。(女声が入ると、どうも違和感じるのはきっとワタシだけ、あ、でもピラトの妻は女性が歌うほうがいいかも・・
イエスの内面をじっくりと聞かせてくださったマティアス・ヴァイヒェルトさん。
アルトソロはつい最近まで団員だった青年カウンターテナー、シュテファン・カーレさん。外見と同じ清楚な歌声でした。まだ若いけど声がとても澄んでいて、印象にのこる声でした。とはいえマタイのアルトアリアに名曲多し、聴き手のテンション↑となる曲ばかりなので少し荷が重かったかもしれません。
だけどアルトアリアやレスタティーボは男性が歌うと音楽が引き締まります。カーレさん若干ハタチとはいえ、子どものころからバッハの音楽、マタイ受難曲のステージ数知れずの強者。2008年のツアーにはいらっしゃらなかったのですけど、2006年録音のCDではソプラノ1、女中のソロを歌っておられました。今後の活躍を期待しております。

物語に登場する、人物は舞台後方から団員さんが担当していました。
物語の本質にはタッチしてこない人物なのであの距離でいいかなぁとは思いつつ、ユダとかペトロはさらっとしていて少し物足りない。
よくよく考えたらみなさん中高生。
たしかに巧いけど、登場人物の複雑な性格付けをなさるには、まだお若いのかもしれません。
女中役のセーラー姿のソプラノソロ君はソプラノトップになるのかしら? 短いソロでしたが鮮やかでした。それとどの2重唱か忘れましたがテナーかアルトで登場したちょっと小柄な高音担当ネクタイ君の声に耳を奪われました。トマーナはプログラム解説にあるように バッハ家の家紋入りネクタイ≠学年=テナー・バスのはずなんですけど、そのきりっとした高音に、カーレさんのようなカウンターテノールかしら?と思うてしまいました。あんなにきれいな声聞いたことありません。ビラー先生はいつかオール団員と卒業生でマタイの演奏をするのかもしれないなぁ・・と。

難しそうな旋律とリズムのソロや二重唱がビシっと決まっていて、ビラー先生(どうでもいいんですけど、最近、ビラー先生がバッハに見えます)の指導が行きわたっているなぁと感心です。

2008年の公演プログラムと今回のプログラムのメンバー表を見比べてみると、ソプラノ・アルトは仕方ないとしても、テナー・バスになると、2008のツアーメンバーがほとんど。
とはいっても2008当時はまだソプラノやアルトを歌っていたんですけど。
人生のうちで、声域のことなるマタイの2パート以上を歌うことができるってすごいことだと思います。
ジックリと音楽と向き合い、その成長過程でバッハの音楽がしっかり染まっているお兄ちゃんたち。
詳しい方からのお話では 入団しても卒業まで全員が合唱団に在籍し続けるわけではないんだそうすけど、バッハの音楽ってこうやって紡がれていくんですね。

合唱はソプラノ1がかなり目立っていました。トマーナ特有の切れ味鋭いきりっとしたボーイソプラノ、少数精鋭のしなやかなアルト大好きです。
物語の合間に入るコラールは素晴らしかったです。
コドモや若者の歌声を通し時に祈り、時に寄り添い、時に絶望し、怒り、さまざまな表情でうたわれており胸が熱くなりました。

第2部は聴いているほうがしんどくなるような内容の連続。
十字架にかけろ、バラバを釈放せよ。合唱の迫力に寒気すら覚えました。
舞台から客席に向けられたまっすぐな目線と歌声に、そこで聴いているあんたたちも、同じ罪をかぶるんだよ。みてごらん、人間はこんなにも浅はかで、えげつなくて、残虐で、そして保身のためだったらいくらでも言い逃れするんだと、何かを突きつけられるような気がして、その迫力に圧倒されました。

「ややや、いくらなんでもそれはマズいんじゃないか」と人々の心によぎる感情は集団エネルギーのベクトルに巻き込まれるとあっけなく隅へと追いやられてしまう。人間て弱い。

イエスの最後の叫びの意味が初めて理解できたように思います。
涙だらだら流しまくって聞いていました。
絶命の後のコラールの秘めやかさ、ペツォルト先生が静かに瞑目しておられる姿にじいんとしました。

今回一番感動したのは、「やはり神の子だった」の力強く光に包まれるような合唱。

バスのアリアはイエスを無くした世界の静かな始まり。
ゴットホルト・シュヴァルツさんのバスアリアはおそらく何度も東京で聴いているはずなんですけど、その慈愛に満ちた歌に毎回感動します。
今回はなぜかですね。
昨年4月に赴いた被災地での自衛隊や、役場の職員さんたちの働く姿が脳裏に浮かびさらにどっと涙が出てきました。

終曲のあと、異様な静けさがホールにわずかだけど残りました。
小さく始まった拍手が大きな音に代わるのにはそれほど時間がかかりませんでした。
奏でられた受難の物語をそれぞれの胸にしまいこみ、それを消化するのには少し時間がかかるのかもしれません。

聴いて元気をもらったぜとか純粋に音楽の深みに身を委ねることができる演奏だったかと言われれば、ちょっと違うかもしれない。
マタイのドラマを期待していた方からすると、ちょっと期待外れだった面があるかもしれません。

たとえ避けられない定めであったとしても、イエスの心の奥底にあったものはなんだったのだろうか。
信者でないがゆえにそれを思うと胸が苦しくなる。
だけどイエスを失った人間たちは、その姿を胸にしまいこみ、思いを寄せて生きていく。
その世界が明るく、平和で安息に満ちていますように。

ワタシには深い鎮魂の祈りの音楽に聴こえ、心の奥深くにじいっと沁みこむマタイ受難曲でした。




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