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12月3日 ドレスデン聖十字架合唱団+ドレスデンフィル マタイ受難曲@サントリーホール

12月にメサイアはいいとしてもマタイ。
クリスマスオラトリオじゃなくてマタイ。
隆誕を祝う季節にマタイ・・・というような具合にマタイ受難曲とメサイア、オペラシティとサントリーホール(距離なくて音響のほう)で悩みましたが、マタイ受難曲を選びました。
前の職場だったら両方行っていました。
絶対に。

コンサート当日は12月週末金曜日の夜。チケットはA.S席を残してソールドアウトでした。
1-2階席は9割方埋っていました。
なんだか安心。(変)
お客さんはコンサート馴れした感じのアダルティーな雰囲気。
さあ、本腰入れてドイツ本場のマタイ受難曲を聴くぞうという熱気&覚悟でムンムン。

舞台に合唱団・ソリスト・オケ、クライレ先生が登場。
モダン楽器+ビブラート抑え目奏法が中心のオケ、合唱は青少年合唱・ソプラノ・アルトソリストに女性ソリストと現代の王道スタイルのひとつでの演奏。

クロイツコアのみなさんが譜面の入ったファイルをゆっくりと開き、クライレ先生をまっすぐに見上げた瞬間から3時間、68曲に及ぶ受難の物語が始まりました。

音楽ってあまり力んで聴いてはいけないんですね。
たいがいそういう時って、実際流れている音楽をきいておらず、脳内で鳴り響くイメージでがちがちになっている。
今年はマタイを聴けないだろうな、と思って、今年の春夏に聴きこんだトマーナとテルツのマタイがこんなときに限ってこんにちはぁ、となってしまって戸惑いました。

マタイの冒頭の低音部分は「十字架を背負って歩かされるイエスの足取り」を感じますが、Choir1とChoir2の対比が強調されなくて、ソプラノ・リピエーノもひと塊状態。
イエスの苦しみに満ちた行軍を、一緒に歩きながら悲痛な気持ちで見守る人たちの叫びのように聴こえました。

エヴァンゲリストを歌うアンドレアス・ヴェラーさんの、はつらつと表情あふれる語り口には引き込まれました。受難の物語を実況中継・解説していく、エヴァンゲリストはマタイの生命線なんですね。

キリストはヘンリク・ベームさんのバス。
ものすごい迫力のある風貌ですが(すみません、)ベームさんのキリストは人間味を感じました。
一部では言葉豊かにいろんなことを語り、その言葉の端々に、従容と受難を受け入れたのではなく、受け入れる過程での懊悩、葛藤し祈らずにいられなかった煩悶があったと気付かされました。マタイに幼いころから触れていたであろうクロイツコアのOBなんですね。

ユダ・ペトロ・ピラトその他と大忙しだったバスソリストクラウス・メルテンスさん。
存在感のある方でした。安定感と声ののびが抜群。
この方の歌を聴いていると、ユダはお金欲しさにキリストを売ってわけではなく、彼なりの信念に基づく行動だったのかな、と思ってしまいました。
1番弟子としてのプライドが高いペトロ。群衆の中に身を置いて裁判を見守っているところを見つかってしまい、結局「キリストなんて知らねえよ、」と3度も言ってしまう。
一番鳥の鳴き声は自分の心の中で聴こえてくる。
ぞっとしました。
ピラト総督が「イエスとバラバどっちを選ぶんだ、」と選択を迫るとき、メルテンスさんは会場をまっすぐに見据えて歌われていました。
もうびっくり。
えええ、そんな、待ってくださいよ、ワタシらが決めるんですか、とワタシ激しく動揺してしまいました。
「我々とその子孫がその責を負う」と合唱団が先に歌った時は「ああああ、そんな、待ってよう、・・ご先祖様勝手にきめないでよう、DNAにそんなこと組み込まないでよう、」とクロイツコアに向かってつぶやいていましたよ。

アルトソリストさん、本調子ではないのか定かではありませんが、肉厚なふと目の声で歌われるアリアやレスタティーボが切なくてこれもありと思いました。
ソプラノソロのアリアは毎回記憶が飛ぶんですけど、ペトロを糾弾する女中さんや、ピラトの妻の歌は「まさしく自分は正しいことを言っている」的な雰囲気があって、強烈でした。

舞台の前方でドラマチックに展開される受難の物語の合間に差し込まれる、舞台最後列組まれたひな壇の上のクロイツコアのコラールは透き通るような美しさでした。
コラール毎に怒り、呪い、嘆き 悲しみ、微妙なニュアンスがとても繊細に丁寧に表現されていて、あれはキリストに寄り添う天使たちの歌声です。
一方で群衆の合唱や8声状態になると、豹変し、迫力のある合唱でした。
遠目でしたが今回はちびっこい子が多かったかな。
落ち着いたステージマナーと歌う時の集中っぷりは素晴らしい。
合唱団最後列のお兄ちゃんたち。
合唱団に入ってソプラノもしくはアルトを経てマタイを知悉した彼らのたたずまいはとても10代後半とは思えない威厳がありました。
考えてみると彼らにはマタイの2パート以上がしみ込んでいるんですよね。

クライレ先生、歌詞をつぶやきながら指揮していました。
明晰な指揮で、オケの反応も合唱の反応も素早かった。
イエスの絶命を語るエヴァンゲリストのレスタティーボのあと、長めの間を置き62番のコラールが始まりました。キリストの死は今日ここにいる皆の心のなかに深く刻みこまれたと感じました。
キリストの死といずれ訪れる自分自身の死に思いをはせるバッハのコラール。
パウル・ゲルハルトの詩から何百年という時間が過ぎても人類の願いと祈りは変わらないんだなぁ・・。

65曲目のバスアリアは、キリストの愛、それを表現したバッハの愛を感じさせ胸を熱くさせました。
亜麻布でくるまれたイエスの亡骸が、墓場に横たえられ、入口を厚い岩でふさがれる。
墓場に差し込む光が消えていく瞬間は永遠の別れ。
受難の物語はキリストをいたわるレスタチォーボとコラールで締めくくられました。
キリストのいなくなった世界で、その教えを胸に生きていこうという終曲。
クライレ先生の腕が空中で止まり、ゆっくり振り下ろされた瞬間、濃密な時間が終わりました。

キリストを追いやった人間の弱さ、残虐さ。
目と耳を覆いたくなるようなむごたらしさ。
その末裔につながる私たち。

それでもキリストは私たち人間を愛していたのだと気づく。

・・・・ワタシにとってはそんなマタイ受難曲でした。

いかんポエミーになってしもうた(恥)


コンサートが終わって出口に向かう客席は大満足といった雰囲気に感じられました。
大きく伸びをしながら「よおし、明日からがんばるぞう」と連れの方に向かっておっしゃっていた方の言葉がとても印象に残りました。







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