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50年代の歌

3月3日動画を張り逃げしたWohin?、シューベルトの美しき水車小屋の娘の第2曲、小川のほとりにたたずむ若者が さらさらと流れる水面を眺めてもの想う風景が思い浮かぶほど、情感ある世界とりわけ小川のせせらぎそのもののピアノが印象的。
ざっと調べたところこちらのWohin?はCDには収録されていないし、ひょっとすると楽曲自体の録音もこれしかないかもしれません。

手持ちのレコードを調べてみると、1980年リリースのこちらのアルバムに発見しました。

15pc-125.jpg
クリアでぴかぴか磨いたような音になっていて、聴き比べてはて、これって同じ録音なのかいな、と思うくらい別の音楽。ジャケット裏の解説には同じ音源であることを示すデータが記載されているのですけど、不思議。
80年リリースでありながら実は55-60年代の録音だとは・・・。

79年リリースのコンピレーションアルバムにも発見しましたよ。

SFW115-16.jpg

録音状態によるばらつきが無いように、サウンド調整されていてびっくり。
アナログらしい空気感がしっかりあって(レコードで聴いているから当たり前なんですけど)、知らずに聴いていると、若干古めの録音かしらと思う程度。ところがどっこいまさかまさか50年代の音源だとは気付かないです。

こちらの2枚組には、さすらい人の夜の歌が収録されていまして、これがまた佳品、絶品。
しかも後半のソロの気高く美しいことといったら・・永久保存版。
短い曲ながらデジタル化の過程で消えてしまった楽曲だと思うとなんだか愛おしいです。
国内レコード各社からリリースされたコンピレーションアルバムは あまり気に留めなかったのですけど、侮れないですなぁ。

同じレコードでも初期盤で聴くのと大量にプレスされた盤で聴くのでは音楽が違って聴こえるらしい・・です。
それもそうだけど、再生装置でもっと変わるそうで。

嗚呼なんて奥深いアナログ道。
嗚呼なんて罪深いオーディオ道。

ものすごく憧れです、ああでも踏み込んだら大変だろうなぁ。

来日協議中とのことですが、今年のBプロに登場するシューベルト詩篇第23番ます ってどんな曲なんだろう。

↓は50年代の合唱バージョンの鱒です。


[高画質で再生]

Die Forelle  [ブログ引越し]


合唱版鱒、お気に入りです。



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5日目

海外からこっそりコメントをくださる皆様、電話でお話をきかせてくださったkeiko様、ありがとうございます。
元気にしています!

夜になると街のネオンは全て消え、道を走る車もまばら。
マンションの常夜灯や街灯の明かりだけ。
ざわめきも何もかも吸いつくすような夜の静寂。

スーパーやコンビニエンスストアの店頭からはトイレットペーパーやレトルト食品の姿が消え、子ども用のおむつはわかるとしても、生理用品までが姿を消していました。
これにはたまげまくりです。
売れていないのはアルコール飲料と洗濯洗剤、ファッション雑誌に化粧品くらい。
そういえば卵やパン、乳製品はここ5日見かけないですね。

ガソリンスタンドは朝から車が並び、早い時間に閉鎖。
こりゃすごい。
異様な雰囲気です。

世界の中で誰もが経験したことのない未曾有の原発トラブル。
自ら大量の放射線を浴びながら、必死で対応している方々のことを思わずにいられません。

あえて書きますが、
たとえ不安ゆえの行動であったとしても、ですね、批判や怒りの矛先を彼らに向けることが何になるんでしょう。


ワタシの目下の心配事は避難所生活で苦しんでおられる方々。
そして自らも被災しながら、避難所や病院で皆の生活を支えている方々。
寒さと空腹と水分摂取不足、皆さまの体調が心配でなりません。
とくに津波の中に巻き込まれた方々、どうか肺炎を発症していませんように。
テレビに映る避難所の高齢者の皆さまの顔色や表情を見るたびに心が痛みます。
義援金送るだけじゃなくて少しでもそばに行きたい。


11日以降、めまい感やふらつき感、ときには記憶の混乱を訴える方が増えています。
みえない形で私たちをむしばむ災害の恐ろしさ。
放射能のこと、止まりかけた物流、生活に関する不安。
こりゃデリケートな方々には精神的にしんどいだろうな、と思います。
いまここで、そういった方々を支えるのもワタシの仕事。

個人的な悩みの二つ目は、11日以降頻繁に起きる余震で、自分が揺れているのか地面が揺れているのかわからないことでした。
しかし「地震を契機に発症した内耳機能の軽い障害+頸性めまいが起きているのんじゃないの?」という、神経内科の専門の同僚が分析しているのを聞いて納得。

どちらにしても、必ず止まるから、余震か自分の揺れなのかなんて考えてもしかたない。


ちょっと悩みましたが、叱責覚悟かつ、腹立ちを感じられる方がいたらゴメンナサイですけど、
次からはいつものぶぁか満載のブログに戻します。





その時

地震が起きた時 ワタシは勤務先の18階フロアにいました。
突き上げられるような衝撃のあと、回旋するような揺れがはじまりました。
スタッフはぱっとに持ち場へ散り、ベッドや重要機器を押さえたり、おびえて泣く人たちを慰めたりしていました。
揺れはいつまで続くのだろうと思うくらい長い間続き、若いスタッフの顔は強張っていました。
怖い、という声を飲み込みながら、大丈夫ですよ、すぐ治まりますからね、と動けない人々へ語りかける姿をあちこちで目にしました。

ワタシはグラグラ揺れるなか階段をよろけながら(まっすぐ歩けない)ひとつ下のフロアに降りて見回りました。
そこも持ち場で必死に頑張る若いスタッフたちの姿が。

しばらくすると窓の向こうに台場のビル火災から上がる黒煙、窓の下ではオフィスビルの表や公園に集う大勢の人々の不安そうな様子が見えました。

あ、と気付くと隣のビルの最階上にあるオフィスはもぬけの殻。

大きなゆれが、3回続く中 フロア二つを行き来し歩き回っているうちに吐き気すら催してきました。
たとえて言うなら国鉄時代の特急しなのに乗って、まさに振り子状態がピークの時に通路を歩いて行く感じ。

地震酔いっていう言葉初めて知りました。

夕方、オフィスビルの方々が食糧調達に走り始めるころ、職場も帰宅が難しい人たちに共同スペースを開放しはじめました。

エレベーターが停止していたので、1階まで階段で下りて(これも目が回る)、控室で交通機関の復帰を待っていましたが、どうやら無理そう。
かといってそのまま勤務先に残るになれず、21時過ぎにを勤務先を出ることにしました。
時折突き上げるような余震を感じながら1時間半かけて歩いて帰宅。
外気温6度、風はなくてもほんのり寒い。

幹線道路は交通渋滞、車で埋め尽くされ、歩道は家路をもくもくと歩む人々の列が続いていました。
ラッシュアワーの街並みとなんら変わらないその風景は淡々として、落ち着きはらった人々の様子に驚きました。

帰宅して部屋の中の様子は。
真っ暗な部屋に明かりがついていて、おやと思ったら冷蔵庫の扉が開いたままでした。
電気をつけるとそれなりの状況。
冷蔵庫から飛び出し床で見事に割れている卵、粉々になったコップやマグカップ。
CDキャビネットは倒れているし、冷蔵庫の上の電子レンジが落ちかかっているのを見たとき、地震のエネルギーの大きさにぞっとしました。。
都内の家は程度の差すらあっても、こんな感じだったのではないでしょうか?

あとで知ったのですが、2フロア上の水道管が破裂し、階上のお部屋を経て水漏れがあったそうで、不在中に管理人のおじさんが掃除してくれたようです。

あれからずっと絶え間なく余震が続いています。

でも。

テレビで繰り返し放映される東北地方の状況には胸がかきむしられるような気持ちになります。

救助を待つ人々、救助に携わる人々。

どうか無事で。

そして災害の連鎖がこれ以上続きませんように。




いずこへ?

50年代の歌です。



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音量小さくてすみません。
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日々のこと、少年合唱のこと、少しずつアップしてまいります

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